2月に支部対抗選抜があって、代表にも選ばれたので久々に自戦記を書きました。すぐには書けたのですが、アップする気にはなれず、日にちだけが経ってしまいました。折角ですので、最後のほうは省略してアップすることにしました。このような結果にいろいろな意見があると思います。私には正直わかりません。長文かつヘボ将棋の内容ですので、時間があったら読んでみてください。
私が三段を獲得したのは2004年5月。次のステップとして四段位獲得のほかに支部対抗出場も普通は視野に入るものだろう。ただ、そのころは八戸支部として支部対抗県大会にすら出場することはなく、自ずと出場機会はなかったため、その存在は遠い世界のものでしかなかった。
支部対抗と聞いて思い出すのは、2005年の船橋・村元・豊川の学生3人が東日本大会で三位に入ったことだ。この大会で他県の強豪をなぎ倒し四段を獲得した彼らがまぶしく思えたものだ。全国大会で四段獲得とはなんと格好いいことだろう。彼らの活躍が少なからず、支部対抗への憧れを抱くきっかけになったように思う。
ただ、三段位を獲得してからは大会参加への足取りも重くなった。大きな目標を達成した満足感と、ここが限界だろうなというあきらめで、盤に向かう時間は減っていった。当時は四段位を獲得できたらなと思うぐらいで、支部対抗戦出場など二の次だったと思う。
大きな転機となったのは、2007年4月。八戸支部が再編され、その流れで2008年2月の支部対抗県大会に八戸支部として出場することになった。推薦で選ばれたのは、上舘・橋畑・松本の三名。これまで指をくわえて見ていることしか出来なかった支部対抗戦に出られるとあって、気分は一気に高揚した。本番に向けて、将棋24で実戦を重ね、満を持して青森支部道場へと向かった。
しかし、私は1勝3敗とチームの足を引っ張り、チームも敢え無く予選敗退となった。帰りの際、真冬の風がより一層冷たく感じたものだ。
迎えた2008年度も八戸支部は大きな転換点を迎えた。なんと100人支部達成により、支部枠で出場できるようになったのだ。支部の三段以下で3位までに入れば東日本大会出場と、本当に手の届くところまでその距離は近づいた。
2009年2月に支部名人・支部対抗・シニアの代表権を賭けて初の八戸支部大会が行われた。しかし、結局この大会に私は参加しなかった。一番の理由は単純に寝坊したこと。その他に、実戦不足による棋力低下、どうせ出ても負けるだろうという負け犬根性、八戸支部として送り出すベストなメンバーに私が選ばれてもいいのだろうかという後ろめたさ。前年の県大会での不甲斐ない成績が思考を後ろ向きにさせていたのかもしれない。
初の支部対抗出場を決めたメンバーは窪田・橋畑・山岸という地方の一支部としては最高レベルの戦力が揃った。そして、東日本大会では見事予選突破を果たした。
この支部対抗は御存知の方も多いと思うが、段位獲得戦が数多くある本県は、強ければあっという間に四段になってしまうので、段位は三段以下で、実力は四段以上という存在はほとんどいない。しかし、段位獲得戦の少ない他県は当たり前のように、四段クラス以上を揃えてくる。この大会で本県勢が活躍することは、一般の全国大会で活躍する以上に難しいと思う。それだけに、今回の予選突破は支部にとってこの上ない朗報となった。
年が明けて2010年2月11日に第2回の八戸支部大会が行われた。前年に、参加すらせず出場を逃したことが悔やまれ、どうせ負けるにしても、参加して負けようと思い、1月から地元大会に参加し、実戦感覚をとりもどそうと努めた。ただ、ネット将棋もせず、それほどこの大会へ強い気持ちを持って臨んでいたとは言えない。
それでも、大会へ向けては、事前に予想をしてみた。山岸君が四段獲得で抜けたとは言え、昨年代表の窪田さんと橋畑君は当然有力候補だ。それに急速に力をつけてきた伊東君と工藤光一君の4名が中心となってくるだろう。そこに私が割って入る余地はないだろうと。
大会の前日にはどうしても外せない飲み会の予定が入っていた。大会は9時からでもあり、深酒だけはさけたいと思っていたが、飲んでしまえばいつもの有様。大会当日の朝は体調が悪くこのまま惰眠を貪ろうかとも思った。しかし、なんとか気力を振り絞り、ぎりぎりの時間になって会場へ向かった。
会場に着いて、申込用紙に名前を記入した。思いの外、参加者が少なく、8名しかいない。単純な確率は8分の3で、4割弱だ。これは、意外と望みもあるのではないかと思った。反面、これしか参加者がいないのかと残念にも思った。ベテラン勢が数名シニアにエントリーしたこともあるが、なんとも寂しい数字だ。今の将棋教室の生徒がこのクラスにエントリーできるまで育つまで待つしかないだろうか。
いよいよ、抽選が始まり組合せが決まった。大会方式は通常の大会と同じ予選4人リーグから2名が進み、その後決勝トーナメントが行われる。私の組は、窪田・工藤・原・松本。いきなり鬼ブロックに入ってしまった。さきほどかすかに芽生えた希望のつぼみは、あっけなく潰えてしまった。
気を取り直しての一回戦は原君との対戦となった。将棋教室では先輩格の中学生だ。段位は初段ながらこの大会に参加するその心意気は素晴らしい。来年以降彼に続く存在が出てきてほしいものだ。
相振り飛車となった本局は、原君が力を出せずに終わった。私から見れば、冷や汗をかくこともなく無難に終えることができた。ただ、原君に感想戦で驚愕の手を指摘された。この日は不思議な出来事が多い一日だったが、その第一弾が図の局面だ。なんと、▲39玉と自ら王手・飛車・銀取りの位置に玉を移動してしまったのだ。△57角成とされれば、即投了級の大悪手だ。しかし、原君はなぜかこの手をスルーしてしまった。何も気づかず数手後に▲58金とし、事なきを得た。勝ったから良かったものの、こんな手を指していてはとこの先が思いやられた。
隣の対局では、決勝の一番ではと思われるような窪田さんと工藤君の対戦が行われ、ここで工藤君がなんと窪田さんに勝利。いきなり波乱の出だしとなった。そして、私の二戦目は工藤君との対戦となった。ここで勝つとベスト4となり出場に大きく近づく。負ければ窪田さんとの対戦が予想され、ほぼ可能性はない。私が選ばれるには、ここが大一番だと思った。工藤君は最近の一般大会でも活躍している中学生で、実力も飛躍的に伸びている。勝利するには厳しい相手だ。
四間飛車対居飛車急戦調のなった本局は、中盤で飛車・銀交換を余儀なくされ、さらには角・銀交換と駒損は拡大していった。こちらの望みは、相手玉の薄さと△22角の壁による玉の狭さだった。 藁にもすがる思い出で、細い攻めを繋げ、何とか喰らいついて、手にした飛車を相手陣に打ち込んだときには、だいぶ良くなっているのには驚いた。
しかし、そこからの寄せ手順の拙さは天下一品の私。するすると入玉模様とされ、もう届かないかと思われた矢先、図の▲64龍に対しての次の一手が工藤君にとって致命的だった。(ここで、一分ほどで次の一手を考えてください)
龍の筋を止めるために△65に歩を打った罪は大きく、▲57歩での王手に思いの外狭い相手玉は逃げることも出来ず、龍を切らざるを得なくなった。
最後は二枚飛車に追われることになり、ほどなく投了となった。歩を打ったところで△65金を打っていれば、こちらに継続手はなく、こちらの負けだった。なんとも、どうして勝てたのか自分でも分からないような、ただただつきに恵まれた一局だった。
こうして、望外の2連勝で予選突破を果たした。後は2戦して1勝すれば良い。一方で窪田対工藤の再戦が行われることになった。この対局で、どちらかを八戸支部として失うことになる。果たして私が勝ったことが良かったのだろうかと一瞬頭をよぎった。結局は窪田さんが工藤君を下し、工藤君の予選敗退が決まった。工藤君はおいらせ町ながら八戸支部に所属している。恐らく支部対抗で東日本大会に出場したい気持ちも強いだろう。その望みを絶ってしまった一因を作ってしまったことに申し訳なさを感じる。しかし、オジさんも出場したいのだ。
代表の座を賭けた一戦は橋畑君との対戦となった。橋畑君は支部対抗には2008・2009年と連続で八戸支部代表となっている。四段位獲得戦でも上位に顔を出す若手だ。
相振り飛車となった本局は、これ以上ないというほどうまく指すことができ、弱体化した相手陣に飛車を先着できたときには、優勢を意識した。
しかし、ここからの拙攻はお約束。「固い、攻めてる、まごつく」が私の逆転負けパターンだ。切れない刀で迫るが、一向に攻めが届かない。挙句には、王手飛車のラインに自ら龍を移動してしまう始末。(図の局面では△97龍と角をボロッと取られ駒損が大きく既に逆転模様だったか)図では▲52香車成としたいが、△64角で王手飛車を喰らってしまう。手筋っぽい▲64歩に対し△75角。王手飛車を防げたものと思い込んでの▲52香車成に当然の△64角でジ・エンド。▲64歩では▲44歩ぐらいだったか。いや、そもそも、51の龍を▲31龍と逃げずに、▲21龍でも良かったし、その前に▲42角成もあった。その後はなんとか粘ってはみたが、力尽き逆転負けとなった。この将棋を落とすようではと暗澹たる気持ちになった。ただ、今になって振り返ってみると、悪くなっても簡単に土俵を割らない橋畑君の粘り強い将棋は流石だなと思った。
一方の準決勝は、窪田さんが伊東君を下し、2年連続東日本大会出場の切符を手にした。
気を取り直して、最後の出場権を賭けた三位決定戦は伊東恒紀君との対戦となった。小学校3年生ながら3段位を持つ、八戸支部次世代のエースだ。昨年のJT東北大会低学年の部優勝や、12月の小学館学年別大会でも優勝し、これからの活躍が楽しみなホープだ。
四間飛車対右四間飛車となった本局は、相手の攻めをうまく捌き、自陣に馬を引きつける手厚い展開となった。そこから伊東君は端攻めに来た。なんとか凌げるだろうという楽観とは裏腹にうまく食いつかれてしまった。しかし、なんとか猛攻をかわし、中段に玉が逃れたあたりでは一息つくことができた。
そして、待望の反撃に出て玉頭から殺到し、またもや怪しいながら攻めを続けた。自玉に詰みが無いかを何度も確認しながら、慎重に相手玉を追い詰めて行く。頭の中には「東日本大会出場」の言葉が駆けめぐる。ギャラリーも回りを囲んで注目している。手のひらとわきの下に冷たい汗を感じる。将棋指しにとって、最も高揚する瞬間だ。
そして、とうとう相手玉を詰み筋に追い込んだ。読みに抜けはないか慎重に秒読みの時間を一杯に使う。どう考えても大丈夫なようだ。そして、とうとう相手玉を詰ますことができた! これで東日本大会出場だ!

しかし、この日一番の事件は直後に起きた。いや、厳密にはだいぶ前から事件は起きていたが、気づいていないのは対局者のみという状況だったのだ!
問題の中盤の図で私が指した手がいけなかった。それは▲67歩! そう、私が二歩をやらかしたのだ。しかし、数手前に指した▲62歩の存在に双方気づかなかい! そして、そのまま最後まで対局を続けてしまったのだ。本地方のルールは、記録がつかない場合、反則は当事者の申告によるものとし、外野からの申告はしてはいけないものとなっている。そして、投了が全てに優先される。
終局後、すぐに指摘され双方茫然自失。反則を犯していながら、私が勝ってしまったのだ。
東日本大会には今ところ、日程調整をして出ようと思う。これも何かの縁と考え、最善だけは尽くすつもりだ。
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